父の死 5

昨日は彼岸だったようだが、月もほぼ満月(正確には今日)で夜空が澄み渡っていた。初七日も過ぎたので、父の兄妹にあたる伯父と二人の叔母に電話で父の死を伝えた。そういえば、火葬場に向かう途中の、火葬場近くの道の土手に、彼岸花が咲いていた。火葬場だから意図的に彼岸花を植えているんだろうねとその時は話していた、良く考えたら、ちょうど彼岸花の咲く季節だったからこそでもある。

初七日までの一週間の間、ブログに記しているように、仏教的見地から輪廻について考えたりして、どうにか父の死を自分なりに適切に受けとめる努力をしていたが、「マレーシアあたりに転生したかもしれない」とか、「そもそも無我であり魂など生きている内から元々無い。錯覚である」とわかってはいても、夜寝ている時、無意識になると、元来の「我という錯覚を持った個の生存本能」に由来する魂的な部分が優勢になってしまう。阿羅漢や不還者ならともかく、せいぜい見解上において正見に近付くことを目指す程度の在俗の自分には、実際の心の性質まで変革するのは容易いことではない。つまり、眠ってしまって、心が無防備になると、魂(個我)という名の錯覚が強く甦ってしまい、その魂が父の喪失を激しく慟哭するのである。

まるでウェイト版タロットの剣の 9 の絵のようである。もう少し時間が経って、自分で自分のこととして、過去の自分のこととして捉える時期になってくれば、盃の 5 の絵のようなある程度寂しさを抱えながら諦めるしかないような心境になるのだろうが、今はまだ完全に剣の 9 である。

ところが、昨日の朝は、初七日を過ぎたせいか、胸(魂)がえぐられるような直接的な苦痛は感じずに朝を迎えたのだった。喪失の直接的な痛みというよりも、ただ、ポッカリと、父の存在の分だけ、世界から幸せの感覚が失われたような空虚さはあった。ただ、その空虚さがもう基本になってしまったという感じで、有ったものが無くなったという、急激な変化のもたらす痛みは感じなくなってしまっていたのだ。

母が自ら、父の兄妹である伯父叔母たちに連絡するのは、今はまだ辛いというので、代わりに僕が連絡することになった。兄妹の中では最初に父が亡くなってしまったことになる。父から末期癌であることを知らされていなかった伯父と上の叔母にはかなりショックを与えてしまった。下の叔母は少し前に夫(義叔父)を病気で亡くしており、父は電話で弔意を告げたその折に、彼女にだけは自分の病気を明かしていたのだが、他の兄妹には話さないように口止めしていたのだ。父もいよいよという時には、自分から挨拶しようと考えていたのだろうが、本人も思いもよらぬ容態の急変でそのまま逝ってしまい、このような突然の形になってしまったのである。

結局、何か一言表わすならば「ありがとう」ということではないのかと思う。自分が父が危篤と知らされた時にともかく思ったのはそれだし、要するに、それ以前から、父が自分たちに対して示していたことも、「ありがとう」ということだったと思うからである。だからこそ、自分もその言葉こそを父に伝え返したいと思ったのだ。

なので、伯父叔母たちにも、父が彼らに伝えたかったことは「ありがとう」ということではないかということを伝えておいた。

電話越しながら、伯父叔母たちにとっては昨日が父の死に対して直面する最初の時であった。その影響か、昨夜から今朝にかけてはまた生々しい苦悩を抱いて眠るほかなかった。初七日を過ぎただけで、この胸の内をのたうち回る魂は、簡単に片付く錯覚ではないようだ。

それでも、昨日からやっと、日中は本来の日常の作業が手に付き始めている。タロットカードの盃の 5 のように、嫌々ながらも過去と踏ん切りをつけて、相続手続などに着手していかなければならない。


昨年から、色々と自分の周辺で何か(父そのものというよりは)自分にとっての一時代が終わろうとしている兆候はあった。

一つ、自分の住んでいるマンションの近くには、古い家があり、その裏庭(私有地)が巨木が数本密集した林になっていた。規模的には「林」と言う他ないのだが、横並びになっているわけでもなく、密集して見通せないような状態で、原生林の「森」が一塊だけ残っているような感じである。毎年激しく蝉が鳴き、おそらく地中には蝉の幼生が大量に生息しているに違いなく、蝉の楽園のようであった。

自分は毎年秋に蝉が何月何日まで鳴いたかを記録するのを楽しみにしていた。長い時には 10 月中まで鳴くことがあったのである。

その蝉の楽園が、去年、伐採され、整地されて、駐車場になってしまったのだった。

二つ、また、その蝉の楽園とは反対側にあたるマンションの隣の空き地は、長らく市による区画整理中で、広大な土地に一箇所だけ、アパートがポツンと取り残されて建っていた。アパートの住人の立ち退きが進んでいなかったのだろうか。それが数カ月前についに取り壊され、区画整理用地が完全な一つの空き地になったのである。

三つ、隣駅は県庁所在地でもある比較的発展した街だが、そこの駅に隣接した所に開発から取り残されたような一角があり、そこにはこの駅界隈における僕のお気に入りの飲食店が集中していた。中でもDという店は、タイ人夫婦の(おそらく彼ら自身がオーナーだと思うが)運営するタイ料理店で、タイ政府公認のタイセレクトの数限られた店である。僕は十年来、月 1、2 回のペースで通っている。夜に行ったことはないので、夜の様子はわからないが、通い出した当初ランチの時間帯には比較的人がまばらだった。しかし、シェフはおそらくタイでもちゃんとシェフとして一定の修行をして腕を付けた人に間違いなく(タイセレクトにも認定されているわけである。また、Google のレビューでも、タイ人のお客さんが「タイ人にとってもタイで食べるよりも美味しいタイ料理」とすら書いていた)、ランチとして食べる分には、価格も手頃に提供されていたので、そのギャップは大いに「買い」な店であると言える。またそれ以上に、タイセレクトということもあってか、店舗の雰囲気が良かった。タイの良い雰囲気、仏教的な雰囲気と、タイ王室を尊重する雰囲気。開発から取り残されたうらびれた一角の古いビルの、暗くて狭い階段を昇った先の 3F にあるその店は、隠れ家のような独特の空気に満ちていた。店名は「天空の宮殿」というような意味らしいが、おそらく「トゥシタ天」のタイ語化したものかもしれない。

5 年くらい前からだろうか、特にここ 2、3 年は、何かの口コミで知れるようになってきたのか、ランチの時間帯であっても非常に混むようになってきた。しかし、そんな矢先、昨年末、この界隈の再開発が決まったというニュースをネットで発見したのだった。

秋葉原の駅前再開発にしても思うのだが、どうしてわざわざその駅界隈の魅力を損なうことをやろうとするのか? こういうことを、開発する側が、「街の活性化」だとか臆面なくのたまう、そういった種類の人間の気が知れない。

具体的な時期がいつになるかはわからなかったが、先月、シェフから 9 月一杯でDは閉店となることを教えてもらった。その後どうするのか、タイに戻るのかと尋ねると、東京に移転するという。高級住宅街のあるC駅で、それも駅からすごく近いそうだ。コロナ禍で空きが出たので、比較的安い賃料で借りられたのだと。名前も変わってKとなり、ある代表的料理名を店名に選んでいる。

隣駅ゆえの今までのように常用することはもう無理だろうが、C駅ならば少し遠出すれば行けない場所ではない。一度はどんな風か様子を観に行けそうだ。とりあえずホッとしたものの、駅前で、店名も料理名。何となく、駅前のこみごみした商店街の一角にある大衆的な店舗を想像し、これまでの「天空の宮殿」であった隠れ家的雰囲気とは 180° 違う展開に、一抹の不安も脳裏をよぎった。

今朝、ふと思い付いて、教えてもらった駅名と店名を使ってネットで検索してみたところ、どこかの新規開店の情報サイトで情報が乗っていた。──なんと、駅に近いどころか、その私鉄の駅ビルそのものだった。「駅前のこみごみした商店街の一角」とは大違いである。これまでのうらびれた古い貸しビルの一角の隠れ家とは良い意味で 180° 違う、メインストリームに打って出たわけだ。しかし、あのシェフの腕前ならば、むしろそういう明るい舞台の方がより活きるだろう。多分、値段は以前のようにリーズナブルとはいかないだろうが、元がリーズナブル過ぎたのだ。

いわばD(うらびれた古い貸しビルの隠れ家的レストラン)は転生してK(ピカピカの駅ビルのレストラン)となるわけである。魂という観点からすればDは終わる。Kはまた別の人格=魂であって、D自身が生まれ変わるわけではない。僕が愛したのはDであり、Kではない。Dはもう戻って来ない。父もまた、マレーシアあたりの華僑か何かに転生したとしても、また新しい別の人格=魂としての人生を歩み出すのである。仏教の無我輪廻とはそういうことである。しかし、Dを運営していたタイ人シェフ夫妻がKに移るように、カルマは相続されることになる。Dが滅びてもシェフの腕前と経験は決して無駄になることはないのである。

(2021-09-21 15:25)

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